あけましておめでとうございます。
慌ただしい大晦日も除夜の鐘を境にして、少し退屈な正月へと摩り替わっていく。
たった一晩で昨日を去年と呼び、今日を新年と言う。
不思議といえば不思議な気分である。
人はそうして一つ一つ区切りをつけながら生きていくものらしい。
・・・と勿体をつけた物言いは私らしくない。
今年の賀状には、前年に引き続き「多病息災」の文字入れた。
年を取れば、あちこち がた がきて当たり前だろう。
つまり、年寄りは、どこか具合が悪いのが正常といっていいのかもしれない。
身体のいろいろな部分が正常でなくなってくる。
「老い」は後戻りができない一方通行だ。
それに反して「病」は回復の希望が持てると信じられがちである。
しかし、老化がらみのことだから物事は期待どおりにはならない。
少しでも苦痛が和らぎ、病状が軽くなれば満足すべきなのに、
年寄りは、欲が深く、もっともっとと期待する。
「老い」と上手に付き合うということは、受け止め方の問題なのだろう。
どうも私は、「できなくなったこと」にこだわりすぎるらしい。
「もう・・・しかできない」
ではなく
「まだ・・・もできる」
と考えるべきなのだ。
こんな意味のことを目にした記憶がある。
「抜けた歯を惜しまず 残った歯を喜び、抜けた髪を憂えず未だ生えている髪を数える」
この精神が「老人」には大事なようだ。
今年 一年 この精神で 前向きに生きよう・・・と新年に想う。
慌ただしい大晦日も除夜の鐘を境にして、少し退屈な正月へと摩り替わっていく。
たった一晩で昨日を去年と呼び、今日を新年と言う。
不思議といえば不思議な気分である。
人はそうして一つ一つ区切りをつけながら生きていくものらしい。
・・・と勿体をつけた物言いは私らしくない。
今年の賀状には、前年に引き続き「多病息災」の文字入れた。
年を取れば、あちこち がた がきて当たり前だろう。
つまり、年寄りは、どこか具合が悪いのが正常といっていいのかもしれない。
身体のいろいろな部分が正常でなくなってくる。
「老い」は後戻りができない一方通行だ。
それに反して「病」は回復の希望が持てると信じられがちである。
しかし、老化がらみのことだから物事は期待どおりにはならない。
少しでも苦痛が和らぎ、病状が軽くなれば満足すべきなのに、
年寄りは、欲が深く、もっともっとと期待する。
「老い」と上手に付き合うということは、受け止め方の問題なのだろう。
どうも私は、「できなくなったこと」にこだわりすぎるらしい。
「もう・・・しかできない」
ではなく
「まだ・・・もできる」
と考えるべきなのだ。
こんな意味のことを目にした記憶がある。
「抜けた歯を惜しまず 残った歯を喜び、抜けた髪を憂えず未だ生えている髪を数える」
この精神が「老人」には大事なようだ。
今年 一年 この精神で 前向きに生きよう・・・と新年に想う。
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by m-morio
| 2016-01-02 13:56
| 日々雑感