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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

例年この時期には賀状から見る世相などを徒然に載せてきましたが、
今年は我が家が喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただいていますので、
”賀状なし”のはずなのですが、数枚だけ届きました。

PRを兼ねた企業からのものは別にして、お知らせしたにもかかわらず、ご丁寧に( ^)o(^ )投函していただいた方によるものです。
敢えてお届けいただいたのか、単なるチェック漏れなのか・・・わかりません。

まあ、こんなこともありますよね。
喪中のハガキに「年賀状お待ちしています」と添え書きするご時世ですから。
賀状をいただいた方へはどう対処しようか・・・・。
喪中の人に賀状を送っても失礼には当たらないのだというから放っておいてもいいのかも知れませんが、7日すぎたら寒中見舞いであいさつしておくのが通常らしい。

▼さて、昨年は少々大変な年でした。
まず家内の妹が亡くなりました。
入院生活中に私ができることは殆どありません。
手足や腰を擦ってあげるわけにもいかず、せいぜい家内が見舞いに行く際の運転手を務める程度でした。
最後の2か月はホスピスにお世話になり、静かに旅立ちました。6月のことでした。

▼そして、9月
持病の定期診察時の検査で異変が・・・。
早期入院の指示です。
間質性肺炎。肺に菌が侵入。
当初は10日程度の入院か・・・とのことだったのですが、
ずるずると長引き結局は3週間超もの間、
個室に留め置かれてしまいました。入院経験の最長記録です。
結果、全身の筋肉が削げ落ち、体重も減少。
帰宅直後は散歩もままならない始末でした。
通常の体調に戻ったのは2か月後です。

▼良くないことは続きました。
私の後を追うように、小樽で独り住まいの妹からSOSの電話が入りました。
具合が悪いと・・・。
私は入院中、兄弟は地方に住まいしているので、家内が右往左往。
岩内の弟に出馬願ってなんとか対処。
先々のことを考え札幌へ転院。
正月を病院で過ごすことになってしまいました。
私の退院後は、妹の見舞いがリハビリを兼ねることになるとは思いもよらないことでした。

▼悪いことばかりではありません。
昨年に続き、”たっくん”が冬の札幌に来てくれました。
もう来年は中学生です。
ミニバスケットチームに所属して練習・試合にと大忙しです。
そのおかげで、筋肉質の締まった体に成長しています。
今回もスキーがお目当てです。
昨年はトマムでしたが、今年は我が家から行ける、テイネハイランドと国際スキー場です。
お父さんが滑りながら撮ったビデオを見ると、関西育ちの”たっくん”ですが、なかなかのものです。

存分に楽しんだことでしょう。そろそろ戻ってくる時間です。

▼正月
元日は、天候があまり良くなかったので北海道神宮は諦めて近くの神社へ初詣で。
おみくじを引くと、たっくん、お母さん、そして じいじ が「大吉」。

今年は良い年になりそうな予感です。

月並みですが、皆が日々健康で過ごせることを望んでいます。
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# by m-morio | 2014-01-03 16:44 | 日々雑感 | Comments(0)
ブログの更新が滞ること3カ月、いろいろなことが中途半端な状態で日々過ごしています。

やっと更新しようという気になったのは13日(土)のテレビ「世界ふしぎ発見」を観たのがきっかけです。
番組で取り上げたのが「スリランカ」でした。大変興味深く観ました。

このブログでスリランカを取り上げたのは、2006年10月の「スリランカ
当時は、政府とLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)との抗争は終結せず、事態は混とんとしていました。
その後どうなったのでしょうか。
この機会に、その後の様子とテレビを通して初めて知ったことなどに触れておくことにします。

▼スリランカの内戦は複雑な背景をもっています。
独立後、シンハラ人優遇政策が進み、タミル語を母語とする人々の生活が徐々に奪われ始め、さらに多数派であるシンハラ人暴徒によるタミル人への襲撃が日常化するなかで、タミル人政治組織の一部は武装するようになっていきます。
1983年7月、北部の都市ジャフナにおいてシンハラ人兵士13名がタミル人によって殺害されたことが発端となって、やがてタミル人武装勢力の一派であるタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)と政府軍との戦闘状態へと拡大していき泥沼の道をたどることになります。
スリランカの歴史を詳細に遡っていくと、内線は単なる政府軍とLTTEとの戦闘のみに終始したわけではないことがあきらかになっていきますが、ここではその詳細は割愛します。
一時はインドが平和維持軍を派遣したものの事態の進展をみることもなく、3年ほどで撤退しています。

その後は政府軍とLTTEとの間の戦闘が激化しますが、その間何度も和平に向けた交渉が行われ、休戦協定の可能性もあったものの、それらは実を結ぶことはありませんでした。
戦闘は北部や東部だけではなく、全土で自爆テロが多発し、多くの人々が犠牲になりました。
北部や東部での絶え間ない戦闘、どこで起きるか分からない自爆テロの恐怖が日常化しているにもかかわらず、非戦闘地帯である中部や南部では外国からの援助を受けた大規模な開発がすすめられ、国内において地域格差は広がっていきました。

内戦の長期化の要因は、タミル人が多く居住する北部と東部に一定の分権や自治権を認めることに対するシンハラ人側の抵抗や嫌悪と、LTTEの分離独立要求とが最終的な解決に至らなかったことにあるようです。
2002年2月にノルウエーが仲介して停戦協定が結ばれ、2003年1月、両者が出席する「スリランカの復興開発に関する東京会議」が日本で開催されたりはしたものの、結局は歩み寄りもなく、政府軍はLTTEに攻勢をかけ、2007年には東部を制圧。

このころからLTTEは内部分裂し、政府軍と手を結ぶ一派もあらわれ、弱体化し、さらに欧米諸国からの非難にもさらされていきます。
2008年1月には、政府軍は停戦協定を破棄して総攻撃を加えていきます。
LTTEは本拠地であるキリノッチを放棄して逃走し、20万人近い市民を「人間の盾」にして東北部のムラティウに立てこもります。
しかし、完全に弱体化したLTTEは政府軍の総攻撃で崩壊し、内戦は2009年5月に「終結」しました。
しかし、この間に何度も試みられた停戦交渉の失敗、国際社会の無関心、多額の政府間援助による一部地域の開発、内戦の長期化に伴う文化・宗教に対する認識の変化など諸々の問題をかかえたまま内戦後の歩みを始めています。
本当の平和はまだまだ先のようです。

▼その内戦が終結した4年後の現状を取材したのが「世界ふしぎ発見」でした。
ご承知のように、この番組は世界中のあらゆる国々を訪れ、その歴史・景観・宗教・民族などを報告してくれるので、ほぼ欠かさず見ている番組です。
この日は75分の拡大版だったので、内容は盛りだくさんでした。
■スリランカの東海岸はスリランカ内戦により立ち入りが制限されていたが、現在は一大リゾートとしようと急ピッチで開発が進められている。またガルオヤ国立公園の湖では40年前に謎の生物が目撃されている。この謎を解明すべくミステリーハンターが動く。
捜索開始から3日目、湖に泳ぐ生物を発見した。なんと湖を泳いで渡る象の姿でした。
また

■スリランカの北部は未知なる場所とされていて、スリランカ内戦が終わって今も検閲所が設置されている。
北部に向かう途中、ヒンズー教の儀式で願いを叶った感謝を込めて苦行を行う教徒がいた。目的地のジャフナにはオランダ統治時代や内戦の名残が残されていて、修復中のジャフナ要塞は空から見ると五稜郭のような形状となっている。またマナー橋はスリランカと日本の建設によるもので、当時は内戦中だった。

■第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和会議において、敗戦国となった日本は多くの国から莫大な賠償を求められ、日本列島の分割案が出されていた。
その時、後に大統領となるスリランカ代表ジャヤワルダ氏が、ブッタの教えを引用した演説で「憎しみは憎しみによって止むことはなく、慈愛によって止む」と、日本を擁護し独立を支持する演説を行ったことによって会議は急展開し、列島の分割を免れ日本の戦後復興につながったという逸話が紹介されました。また、当時の吉田茂首相は「我が国日本は、後世までこの大恩を忘れてはならない」と言ったといわれていますが、残念なことに、今、この逸話を知る日本人は皆無に近くなっているようです。
勿論、わたしも初めて耳にしたことでした。

スリランカは、今秋の講座でインドが取り上げられる際にまた登場するはずです。
民族闘争が一応の収束をみた後の今後の展望などを学ぶことができると思います。
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# by m-morio | 2013-07-25 14:30 | 市民カレッジ | Comments(0)
エジプトは、いまムスリム同胞団出身のモルシ大統領が、その政治体制の確立に難渋している。
▼経過をまとめると・・・
2011.01.25 各地でムバラク大統領の退陣を求めるデモ
2011.02.11 ムバラク大統領辞任。軍政暫定統治開始
2012.01.21 人民議会(国会)選挙。イスラム勢力が議席の7割を獲得
2012.06.02 ムバラク前大統領に一審で終身刑の判決
2012.06.17 軍政が人民議会を解散、自らに立法権を与える改正憲法令
2012.06.30 モルシ大統領が就任
2012.08.12 大統領が軍政トップの国防相を兼任。軍政から立法権奪還
2012.12.05 新憲法案の賛否両派が衝突。7人死亡。
2012.12.25 新憲法が成立
2013.01.13 ムバラク前大統領の裁判やり直し決定
2013.01.26 ポートサイド暴動の判決(サッカー場で71人が死亡した事件の被告21人に死刑判決。
2013.01.27 反政府デモ多発を受け、スエズ、イスマイリア、ポートサイドの3都市に非常事態宣言
2013.03.07 選挙管理委員会は、4月22日から予定されていた人民議会(国会)選の実施を取りやめることを決めた。議会選は昨年12月に制定された新憲法に基づいて実施されることになったが、政府が成立を目指した選挙法について最高憲法裁は今年2月、一部を違憲と判断。政権側が選挙法を部分的に修正していた。
2013.04.09 首都カイロなどで5~7日、イスラム教徒とキリスト教徒が衝突し、8人が死亡した。

▼政変後2年・・・何を求めるのか
 約30年続いた軍事独裁のムバラク大統領を18日間で退陣に追い込んだのが2011年2月11日。
同年11月の人民会議選でのイスラム政党の躍進を受け、12年6月には「ムスリム同胞団」出身のモルシ大統領が誕生した。彼らの目標は、イスラムの教えに基づくり国づくりである。
「民主革命」と言われた政変から2年。
エジプト社会は分裂し、大きな溝ができ混乱の最中にある。
すなわち、「新しい国づくりの主導権を握ったイスラム勢力」と「ムバラク政権を倒す原動力となった都会の世俗的な若者たちや野党勢力」などとの間の深刻な対立である。
若者たちは「こんなはずではなかった」との思いが強い。

理由のひとつは、
モルシ政権のもと、政治のイスラム化が進んでいることやモルシ大統領の政治手法に対する反発である。
国づくりの設計図ともいえる新憲法がイスラム勢力主導で作られ、反対派の言い分に耳を貸さずに、強引に制定しまったこと。
また、デモが拡大した3都市に、非常事態宣言を出し、治安部隊がデモを鎮圧したこと。
こうしたやり方は、ムバラク時代とまるで変わらないという批判が出ている。
野党勢力は、
・イスラム色の強い新憲法を修正すること
・「挙国一致内閣」をつくること
を要求している。

もうひとつは
政変の原因になった経済や社会の問題が、何も解決されていないこと。
外貨準備高が、危機的な水準に落ち込んでいるため、現地通貨のエジプトポンドが下落し、輸入品を中心に、物価が高騰している。
雇用の場もますます失われ、失業に苦しむ若者たちの不満は限界を超えている。
政治の混乱が、治安の悪化を招き、経済も悪くなるという悪循環になっている。
国際通貨基金(IMF)から48億ドル(約4400億円)の支援を受ける交渉も難航している。
最大の焦点は「財政赤字の改善」で、支出の2割以上を占める補助金改革や増税が必須といわれているが、低所得層の反発を恐れ、政府は改革に及び腰だ。
隣国リビアから大量の武器が流入する中、暴力のエスカレートも懸念される。
国の安定には相当の年月がかかると予想されている。

▼4月に入って、国民の9割を占めるイスラム教徒内で、モルシ大統領らイスラム勢力に対し、政教分離を求める世俗リベラル勢力の反発が強まる中、この度は、異教徒との対立も激化した。
警察に暴動を抑える力はなく、衝突が拡大する恐れもある。
経済危機により庶民の怒りは募っている上に密輸武器が蔓延しており、さまざまな対立軸による衝突が先鋭化する恐れもある。

▼先日の「現代史」講座の懇話会に参加した。
わずか6名の参加だったが、それぞれの参加者の「アラブの春」に係る受け止め方・考え方が披露され、意義ある時間を共有できた。
その中で、講師から「アラブの春」の成功とは?との質問を受けた。
私が、「アラブの春」が成功裏に収束するか否かの結論はまだ先のこと・・・・という趣旨の発言をしたことによる反問だった。
不用意に使った言葉尻をとらえられた格好だ。
確たる定義を持っていたわけでもない。
とっさに浮かんだのが、エジプトの現状。

エジプトは、この危機を乗り越えることができるのだろうか。
チュニジアなどこの地域では、イスラム教徒が、人口の大多数だから、民主化が「政治のイスラム化」に結びつくのは、宿命と言えるのかもしれない。
しかし、イスラム勢力に属さない人々は取り残され、失業、汚職、格差、人権などの問題が放置され、反政府運動の背景になっている。
危機を乗り越えるためには、イスラム勢力に属さない人々の立場に配慮し、できるだけ国づくりに参加させてゆくこと。
そして、国民の多くが「暮らしがいくらかよくなった」と実感できるようにすることが、カギを握っているのだろう。さらに、政権が安定しなければ何も始まらない。
・・・・・との趣旨で語ったのだが、はたして的を得ていたのか?

▼箇条書きに、歴史を遡っておく。
イスラーム原理主義とは、西欧的な近代化をムスリムの堕落とし、ムハンマドの教えに立ち返ってイスラーム世界を再生しようとする考え方。
共産主義や社会主義に失望した貧困層を中心に支持を拡大し、イラン革命(1979)を機に最高潮に達した。
現在、欧米主導の中東和平に反対してテロ活動を展開する勢力もある。
その後の世界の動きに注目すると、
・1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻(親ソ連政権を守るため進駐)
・1980年、国境をめぐって、革命後のイランにイラクが侵攻し、イラン・イラク戦争勃発
・1981年、ジハード団によるエジプト・サダト大統領暗殺事件
イスラエルとの和平問題で、1978年、アメリカのジミー・カーター大統領の仲介のもと、キャンプ・デービッド合意にこぎつけ、1979年には両国間に平和条約が結ばれた。
このエジプト=イスラエル単独和平は「パレスチナのアラブ人同胞に対する裏切り」と受け取られ、アラブ諸国とイスラム教徒は第四次中東戦争開戦日を記念しその勝利を祝う戦勝記念日のパレードを観閲中に、イスラム復興主義過激派のジハード団に所属するハリド・イスランブリ中尉によって暗殺された。
・1990年、湾岸戦争(イラクのクェート侵攻)
・1990年、ソ連崩壊
・1998年、インドネシアで、スハルト政権の終焉と前後して、イスラーム主義の諸政党が姿を現した
・2001年、同時多発テロ。イスラム原理主義組織の暴挙。
・2011年、アラブの春・・長期独裁政権への反旗。 民主化運動。
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# by m-morio | 2013-04-28 14:00 | 市民カレッジ | Comments(0)
手元に二冊の本があります。
①「これからどうなる」~日本・世界・21世紀~ (岩波書店編集部編1983年)
②「これからどうなる21」~予測・主張・夢~ (岩波書店編集部編2000年)
です。

突然、余り馴染みのない書名を掲げました。
実は、今受講している「現代史」の講座で、講師の先生が紹介してくださったもので、一寸興味をくすぐられましたので、図書館から借り出してきました。f0020352_14571197.jpg

①は、ちょうど30年前の1983年に発行された本です。
この年が、岩波書店創立70年にあたるのを機に、各分野の専門家578名を選び出し、それぞれの方に「例えば」という前提で個別にテーマを設定願い、「200字×6枚」として、アンケート方式で発言を要請し、446名の方々が21世紀に向けて、社会のそれぞれの分野がどう変わるか、どうあったらよいかを論じたものです。

②は、21世紀を目前にして、多くの人々が「これからどうなるのだろうか?」という素朴な問いを持ったであろうと想像し、241名の方々が、多様・多彩なテーマで、不安や期待や希望まで記しています。

個々の文章は1200字程度ですが、如何せん700を超えるボリュウムです。
すべてのテーマに興味があるわけでもありません。
そこで、目次から、「原発問題」に触れている項目を探してみました。
30年前の①には該当する記載は見つかりませんでしたが、②に「原発震災」を回避できるか? (著者: 石橋克彦氏) が目に留まりましたので取り上げます。
執筆された時期は、発行年から考えると1999年でしょう。

注目すべき意見が掲載されていましたので
まず、その概略を・・・・・

「21世紀には阪神・淡路を上回る大地震が何度か覚悟しなければならないが、それよりおそろしいのは「原発震災」である。
大地震によって原子力発電所が大事故を起こし、通常の震災と放射能災害とが複合・増幅し合う巨大災害で、日本を壊滅に追い込みかねない。」

「16の商業用原発があり、51基の大型原子炉が稼働している。
政府や電力会社は、原発の耐震安全性は耐震設計指針で保証されているから絶対に大丈夫だという。
しかし、地震学の目からみると、肝心の地震と地殻動と地震動(地震の揺れ)の想定がきわめて不十分で、原発震災は現実的で脅威である。」

・・・と説いています。

さらに、
「1960~70年代に造られた多くの原発が、大地震に直撃されやすい場所に立地している。」
「活断層の上には原発は作らないからM7級の直下型地震は起こらないとして、直下地震はM6.5を考慮すればよいとされているが、活断層がなくても直下のM7級の大地震が起こり得ることは、今や地震科学の常識である。」

「日本中のどの原発も、想定外の激しい地震動に襲われる可能性がある。
その場合には、いちばん丈夫なはずの最重要部分を含めて多くの機器・配管系が同時に損傷したり、多重の安全装置が複合故障したりする恐れがつよい。
その結果、最悪の場合、核暴走や炉心溶融という、「過酷事故」が起こって、炉心の莫大な放射性物質が原発の外に放出され、チェルノブイリ級かそれを上回る放射能災害が生じてしまうだろう。」

「震災地の救援・復旧が放射能のために不可能になるとともに、原発の事故処理や近隣住民の避難も困難を極める。震災地は放棄され、多数の命が見殺しにされて、周辺の膨大な人々も避難しなければならない。」

最後に、
「日本列島の地震現象と人間の技術を虚心にみつめれば、ここで51基もの大型原子炉を運転しているのは狂気の沙汰ともいえる。」

「ところが、驚くべくことに、地震列島・原発列島の住民のほとんどがこの破局的可能性について何も知らず、その結果、原発震災を防ぐ手だてはまったく考えられていない。21世紀に未来の光が射すためには、どうしても原発震災を回避しなければならない。」

「そのためには、社会の価値観の大転換と、政治・経済・社会システムの根底的な変革が必要である。
それができれば、単に原発震災が回避できるだけではなく、21世紀の人類の最大課題である持続可能な文明の創造に、日本も貢献できるだろう。」

と結んでいます。

[付記]として、発行元が次のように追記しています。
「本稿脱稿後の1999年9月30日に、茨城県東海村の民間施設で臨界事故が発生し、わが国の原子力事故で最大の被害を生じた。
これは地震が原因でもないが、原子力の本質的な怖さをあらためてはっきり示し、ここに書いた問題にも大きな教訓を与える。
ところが、今後は最悪の事故を想定してリスクを明示すべしといわれる一方で、政府もメディアも、原発並みの安全対策をとっていれば大丈夫ということを強調し、真のリスクがますます隠ぺいされようとしている。
眼前のことにしか考えが及ばない日本社会の体質は、阪神大震災から本当の地震対策を汲み取らなかったときと同じである。
未来を切り開くためには、真実を洞察しなければならない。」

著者は、
本書での記載で、大地震によって原発が炉心溶融事故を起こし、地震災害と放射能汚染の被害が複合的に絡み合う災害を「原発震災」と名付けて警鐘を鳴らしました。
以後、原発依存からの段階的な脱却、高レベル放射性廃棄物の地層処分を、地震が多い日本国内で実施する計画に関する懸念などを一貫して主張し続けています。
残念なことに、「原発震災」への懸念は、2011年の東日本大震災で引き起こされた福島第一原子力発電所事故で現実のものとなってしまいました。
最近発行された著書に「原発を終わらせる」(岩波新書 2011年7月) があります。
・・・・・1944年神奈川県生まれ。1973年東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。
現在 神戸大学名誉教授


 福島第一原子力発電所の事故原因が、地震なのか、津波なのか、それらの複合によるものか、現時点では明確ではありません。
一方、規制委は一部の原発立地地域に活断層の存在を指摘し、今後さらに調査を進める意向です。

折りしも、
内閣府の専門家作業部会は、南海トラフが起こすかもしれない日本列島へ与える影響について試算を公表しました。その被害予想額は220兆円を超えるものでした。
ただし、これには同時に起こり得る原発事故(原発震災)による被害について「あまりにも甚大で、予想もつかない」としています。

予想がつかないほど甚大な被害をもたらすかも知れない地震国日本列島の海岸線を取り巻いて50基もの原発が林立しています。
背筋が寒くなりませんか。


さて、地震専門家が(一部の人とはいえ)ここまで注意を喚起し、警鐘を鳴らしていても、聞こえてか否か、原発の再稼働を認め、民主党政権の「原発ゼロ方針」を見直そうという安倍政権の行動は、まさに「狂気の沙汰」なのではないでしょうか。
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# by m-morio | 2013-03-22 15:02 | 市民カレッジ | Comments(0)
思い立って”字を書こう”と決心しました。
昨年11月下旬のこと。
日頃、ペンを持つのは、年に数回の手紙を書くときぐらいだろうか。
その手紙も、時によってはパソコン処理となったこともあった。
字はどんどん忘れていく、筆順となると全くのでたらめだ。
書く字の大きさもバラバラで、なんとも見苦しい。視力も衰え、とうとう近距離用のめがねを更新した。

▼そんな折、購読する北海道新聞に「卓上四季ノート」の広告を見た。f0020352_1210630.jpg
朝刊のコラムをノートに転記していくというものだ。
注)朝日新聞ならば「天声人語」に相当。天声人語ノートも市販されている。
書き写し学習だという。
このコラムは、社会情勢や出来事を紹介しながら筆者の思いをつづっている。
文字数は554字と決まっていて、6つの段落に分かれている。
書き写しながら、言葉、漢字を抜き出して辞書で調べたりする。
毎日続けていると、「現代史」の講義にも通じるし、文章を読取る力よりも雑学が身につくような気がする。

▼そんなことをはじめて3ヶ月になる。
続けていて思うこと
・桝目(原稿用紙の)の中に(真ん中に)キチンと文字を収めるのが案外難しい。f0020352_12103690.jpg
大きさを揃えることもさることながら、縦線(縦棒)を引くのにもすっと真っ直ぐに引けずに曲がっている。
性格の悪さか・・・などと自嘲している。

・書き写しに際しては、略字を使わず、コラムの文字通りに転記しているのだが、どうもうまく格好がとれない字がある。
「門構え」の字。
門・問・聞・悶・閥など。桝目にバランスよく収まらないのだ。しかも、これらの文字が案外頻繁に登場する。出てくるたびに難儀するのだが、一向に上達する気配はない。

・読めても、書けない字も多い。
憐憫・飢饉・膨らむ(膨大)・噛む・囃子・褒める・海鼠(なまこ)・羹(あつもの)・膾(なます)・脆弱・癒すなどなど。虫眼鏡を取り出してゆっくり書き写すと、文字のバランスどころではない。
時には、小学生向けの「漢字の書き方辞典」を取り出してくることになる。

・筆順に戸惑う文字もある。
壺・飛

・普段あまり使うこともない文字に、蕩尽(とうじん)(財産などを湯水のように使い果たすこと)・口吻(こうふん)(昆虫などの長い口)

・・・・などに悩まされていると結構な時間がかかる。

▼ノートは間もなく4冊目になる。1ヶ月1冊だ。
文章の読解力がつくかどうかは些か疑問ではあるが、毎日、朝のひと時、前日分を(コラムを切り抜くので、1日遅れになる)、できるだけゆっくりと一字一字を丁寧に・・・と心がけながら、554文字を30分ほど掛けて転記する。
取り上げられた話題に関する記事や写真を貼り付けたりするので、ノートは着膨れ状態。

▼書き写しには、万年筆を使っている。
ごく普通の国産メーカー品。もう20年来の物だ。引き出しに収まっていた時間も長いのだが。
この万年筆は、いま、再び命の息吹を吹き込まれたとでも感じ出したのか、なかなかの書き具合で良い按配である。
先日、文具店のコーナーで雑談。
立派な筆記用具が沢山並んでいる。中には蒔絵を施したもの、モンブランなどの外国メーカーのもの。お値段も相応。

お店の担当者に「長年使っているけれども、不具合がない」というと「そうですね! 落として破損させない限り、一生物ですよ」と。

20年前の1万円程度の万年筆も、今再び活躍の場を得て生き生きしているように見える。
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# by m-morio | 2013-02-23 12:18 | 日々雑感 | Comments(0)
政権が交代した。
新政権の動向で注意深く見守っていかなければならなのは、やはり「原発・エネルギー政策」だ。
野田政権は、12年9月に「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す新しいエネルギー戦略をつくった。
内容にはあいまいさはあったにせよ、脱原発のタイミングを具体的に示した意義はあったのだろう。
残念(?)ながら、その行く末を見定めずに、政権は挫折した。

▼脱原発問題で、自民党は、「軽々に(原発)ゼロにするとは言わない」とし、「今後10年以内に最適な電源構成を確立する」との公約を掲げた。
安倍晋三首相は12年12月30日のTBS番組で、                                     原子力発電所の新増設に関して                                          
「新たにつくっていく原発は、40年前の古いもの、事故を起こした東京電力福島第1原発とは全然違う。何が違うのかについて国民的な理解を得ながら、新規につくっていくことになる」             
と前向きな姿勢を示した。

何か勘違いしていないのか。今停止している原発の大半が"古いもの"との認識なら、再稼働などできるはずもない。

新政権の出発後1か月で、”原発維持・推進”の方向に舵を切ったと思わせる首相・大臣の発言が伝えられるのにも驚かされる。
自民党の公約に「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」とも謳っているのだが、今一つ方向性が見えない。

▼少し振り返ってみると、昨年夏、エネルギー政策に関して”国民的議論”が行われた。
当時の政権が示した「2030年時点での原発比率を0%、15%、20~25%」の3点に絞った叩き台で実施された。
実質的な議論に充てられた時間は2か月程度と短く、意見聴取会や意見募集、参加者の選定などにおいてさまざまな不備も指摘された。国民的議論というには不十分さ、拙速さが目立ったものだった。
しかし、多少の難があったにせよ、国民の大勢の意見が”脱原発”にあったのはまぎれもない事実なのではなかろうか。

そんな背景を知ってか知らずか(?)、耳をふさいでいるのか(?)、政権が変われば政策も変わるのは当然といわんばかりだ。

▼1月28日の安倍総理の「所信表明演説」では、原発問題にはTPPとともに触れられなかった。
今夏の参院選を意識してのことなのか。総理は、後日行われる「施政方針演説」との重複を避けたといっているらしいが、選挙を念頭において、敢えて避けたとも受け止められる。
脱原発やTPP問題は、前政権からの継続案件だ。
火種だからといって避けて通れる問題でない。避ければ避けるほど、国民は”原発維持”へ舵を切るのだと思ってしまう。
経済政策が大事なのはわかる。
しかし、福島第1原発の廃炉は長期間を要する見通しだ。
被災地の復興は迅速に進んでいる様子はない。
放射能の除染も、汚染物の処理問題も含め難航している。
1月30日、安倍総理は、衆院本会議で、2030年代に原発稼働ゼロを目指すとした野田前政権の「革新的エネルギー・環境戦略」について、「ゼロベースで見直し、責任あるエネルギー政策を構築する」と述べ、全面的に見直す考えを表明した。

前政権の打ち出した方針などを白紙に戻すというのだ。
首相は、「原発依存度を低減させていく」とし、「いかなる事態でも国民生活や経済活動に支障がないよう、エネルギー需給の安定に万全を期す」と強調した。

▼脱原発の機運はしぼみつつある。
これは、福島の事故の恐怖を忘れたということである。
新しいエネルギー政策は、今年の夏に決定することになっている。
原子力規制委員会は、再稼働の安全基準作りの最中だ。
難題として”活断層”の問題が浮上している。
安全基準はかなり厳しいものになるらしいとの報道もある。
まだ紆余曲折があるのだろう。

未定であったり、曖昧のままになっている事柄も多い。
・先の総選挙が”違憲”だとの訴えが全国各地で提起されている
・再稼働是非の判断は、規制委がするのか政府かも明らかでない
・規制委の委員の国会承認も未済だ

経済産業相は1月17日、
建設中の大間原発など着工済みの原発について「建設を進めることに全く問題ない」(規制委による安全性の確認が前提となる)と語り、核燃料サイクル政策に関しては「政策の意義は今後も変わらない」と堅持する考えを示した。

使用済み核燃料を再利用しようという「核燃料サイクル」を推進しようとしている。
その中核となる再処理工場は今年10月に完成するというが、規制委の安全基準がまだ確定前の今、その条件をクリアできるのかも分からない。
そして、「高レベル放射性廃棄物」いわゆる「核のごみ」の処理をどうしようとしているのか? 
保管方法、保管場所も全く決まっていない。
特に、保管場所については、日本だけのの問題ではなく、米欧の原発推進国においても全く同様だ。(フィンランドだけが唯一設置作業中)
この核のごみの処分場が決まらないまま、多くの国が原発を稼働し、増設を計画している。

1月30日、英の州議会では、最終処分場の候補地となっていた場所に処分場建設計画の是非を問う採決が行われ、否決された。
英政府は、「原発を今後も新設するという方針は変えない。ほかの自治体が候補地に名乗り出てくれるよう働きかけていく」としている。
英の動向は、現在の最終処分場の現実を象徴している。

「核のごみ」の問題を避けて"原発問題"語ることはできない。
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# by m-morio | 2013-02-02 15:07 | 市民カレッジ | Comments(0)
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・・・と題して書くのは何度目だろうか
「年賀状」は、ハガキ派か、メール派か などと言われたのは、既に随分昔の話のように思います。
若い人たちの中には、毛嫌いする人もいるのかもしれない。

・・が、年賀状がまだままだ売れているところをみると、まだ世間で認知された存在なのだろう。

今年も多くの人たちから賀状を頂戴しました。

いつものように、思いつくままに。。。

▼昨年末ほど賀状の交換をしていた人が亡くなった年はなかったろうと思います。
このあたりに、自分がいかに年を重ねたかを実感します。
80歳を超えた先輩から、同い年の元同僚、そしてはるかに年下の従兄弟までその幅は広いのですが。。
寂しい限りです。

▼最近、私がお出しする賀状は、
①自分が撮った写真を一枚貼り付ける(風景写真が多い)
②夫婦連名で書くので、それぞれの近況を一言
・・・ここまではPC処理
③さらに、手書きで一言
というのがパターンです。
この「写真」が一部の方に好評のようで、毎年楽しみにしています・・
などと触れられているとなかなか嬉しいものです。

仕事を離れてほぼ10年、知人・友人と会う機会は極端に減ってしまいました。
いつまでも年を取らない(?)人々の”お顔”を思い浮かべながら書く一言も悪くないと思うのですがいかかなものでしょうか。

▼3年前、古希を迎えるにあたって「今後の賀状を失礼する」旨を書き添えてきた知人がいました。
結局、飲み会にも出てこなくなり疎遠になってしまいました。
今年は、お二人の方から、高齢あるいは体調を理由に「今年をもって欠礼する」との添え書きをもらいました。

娘は
「なんか寂しいね」
「ひょっとしたら、お父さんが除外されたんじゃないの(ー_ー)!!」
なんて宣(のたま)う。
うーん
選別されてしまったか! あり得るのかも

お父さんは、どうする? 80歳位になったら”止める?”

また、
うーん 
多分! 字が書けるまでは止めないかもね。。。
体調次第というところでしょうか。。。。
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# by m-morio | 2013-01-04 20:17 | 日々雑感 | Comments(0)