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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

本稿での「原発」に関する書き込みは昨年10月を最後に途絶えていました。
少し時間に余裕ができましたので、続けていきます。
 
 わが国の原発の数は、最近まで54基といわれてきたが、福島第1原発の4基の廃炉が決まってからは50基とマスコミは伝えている。
既に運転を停止したのが3基、もんじゅは試運転を中断中、青森県では2基建設中(工事は中断しているが)である。
5月には、これらの原発の全てが稼動を停止した。
しかし、脱原発が声高に叫ばれるのを聞こえていて聞こえぬ振りをしているのか、それとも安全にそれほど自信を持っているのか、暫定の安全基準を御旗にとうとう大飯原発の再稼動を強行した。(3、4号基とも営業運転を開始した。)
福島の4基が重大な事故を起こすに至った正確な経緯は未だ明らかにされていない。
即ち、メルトダウンに至った原因は特定されていない。 そもそも原子炉に近づけないのだから究明には限界があるというのだが。。。。

それでも、国と東電は、事故の原因は「津波」であるとして、既存の原発の安全は問題ないという。
新たに安全対策を担う原子力規制委員会(注1)の人選ですらふらふらし、新たな安全基準も、安全に責任を持つ機関もないまま首相は原発の安全に「私が責任を持つ」と豪語する。
自分が今おかれている状況をどのように認識しているのだろう。
来年はおろかあと数ヶ月の在任かもしれないのにどのような責任の取り方を描いているのだろうか。
ユーロの崩壊と世界恐慌の瀬戸際に立たされているいま、国の明日を左右する政治のあまりにも軽さに、日本沈没も近いのかと憂う。

注1)福島第1原発事故で、原子力行政の推進と規制の区分があいまいで安全規則の「無責任状態」に問題があったとされた。このため、規制部門を経済産業省などから切り離し、独立した規制組織を作ることにした。
委員会は原子力の専門家など5人で構成する。
その下に事務局の「原子力規制庁」を置き、実際の調査などを行なう。
その「原子力規制庁」は4月に設置する予定だったが、まだ目処が立っていない。

ところで
原発の数の表示で迷っています。「機」なのか「基」なのか。
例えば、日経の記事をみると
「日本には運転から40年超がたち、高経年化した原発も3ある。日本原子力発電敦賀原発1号、東京電力福島第1原発1号、関西電力美浜原発1号機だ。米国に8、英国に4あるが、フランスとドイツには1もない。」
といった具合だ。
どう理解したらいいのだろう。
この写真の説明では、泊原発「3号機」となっている。(日経ではないが)
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「機」は、原子炉を表し、「基」は、周辺設備を含めた表示なのだろうか?
どなたか ご教示 を お願いします。
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# by m-morio | 2012-08-18 15:09 | 市民カレッジ | Comments(0)
f0020352_1215191.png 7月に開講された現代史の講座で、 「ロシア近隣諸国・・・ソ連崩壊後20年」 を統一テーマとして、
「プーチンのロシア」、「ヤヌコビッチのウクライナ」、「サーカシビリのグルジア」、「カリーモフのウズベキスタ」
が採り上げられました。
ソ連崩壊後、隣接する諸民族が独立を果たし、それぞれの道を歩み始めました。
資源に依存して成長してきたロシア経済にも陰りが見えてきています。
プーチンのロシアの今後はどうなるのか、そして近隣の諸国はロシアとどのように付き合おうとしているのか。現状とこれからの展望を学びました。

 本稿では、その全てを網羅することはできませんが、「グルジア」は、1991年のソ連崩壊後も、民族紛争や民主化革命など、世界の注目を集める問題を惹起し、特に2008年に再燃した「南オセチア紛争」はまだ記憶に新しく、ロシアによる力の外交に世界が注目し、反発もしました。
後、南オセチアはロシアの後ろ盾を得て独立を宣言するも、それを承認しているのはロシアのみに過ぎません。

そんな「グルジア」の歴史を辿ってみることにします。

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1 グルジアという国
1)位置
グルジアは、黒海とカスピ海に挟まれたカフカス(コーカサス)山脈の南側から黒海沿岸に広がる。
カフカス山脈を挟んで北側はロシアと接し、東南部はアゼルバイジャンと、南部はトルコ、アルメニアと国境を接している。
古来より多くの民族が行き交う交通の要衝で、幾度も他民族の支配を受ける。
温暖な気候から、ワイン生産が盛ん。

2)概況
・1991年4月9日にソ連から独立宣言。
・「グルジア」はロシア語に由来し、英語名は「ジョージア」(Georgia)
・面積・・・・・日本の約五分の一
・人口・・・・・435万人
(南オセチアとアブハジアを含む)注)人口を捉えるときに、この両地域を含めるか否かが問われることがある。本稿では、これらの地域がグルジアの実効支配が及ばないとはいえ、ロシアが承認した「独立」を世界が認めていない現実を考慮し、総人口に両地域を含めた計数を採用した。出所:「世界国勢図会」(矢野恒太記念会 編集・発行 2011/12版)
・首都・・・・・トビリシ
・民族・・・・・グルジア系(83.8%)
・言語・・・・・公用語はグルジア語
・宗教・・・・・主としてキリスト教(グルジア正教)
・内政・・・・・2003年のバラ革命を経て、サーカシビリ氏が大統領就任。
2007年11月、大統領と議会の選挙実施時期を巡って政府と野党側が対立、非常事態令を出す事態までに発展。
2008年1月の繰上げ大統領選挙で、サーカシビリ大統領が再選。
国内に、アブハジア、南オセチアの分離主義地域を抱え、両地域には中央政府の実効支配が及んでいない。
・外交・・・・・政権は、親欧米路線を明確に打ち出している。
また、NATO加盟を目指しており、トルコ・アゼルバイジャンとの地域協力にも熱心で、筋金入りの反ロシアを指向。
ロシアとは、アブハジア、南オセチア問題、グルジアのNATO加盟に向けた動き等を背景に緊張感が続いていた。
2008年8月、グルジア軍と南オセチア軍の軍事衝突にロシアが介入したことで、両国間の緊張は武力紛争に発展。EU等の仲介により停戦したものの、その後、ロシアが南オセチアおよびアブハジアの独立を一方的に承認。ロシアとの外交関係は現在も断絶したままである。
・対ロシア歴史観
カフカスの有力民族でありながら19世紀にロシア帝国に併合され、ロシア革命後に独立宣言するも、赤 軍(ソ連の正規軍)の侵攻でソ連に加盟。ロシアを「侵略者」と見なしている。ソ連崩壊後は元ソ連外相のシュワルナゼ氏が指導者としてロシアと距離を置く外交を進めた。
・経済・・・・・主要産業は、茶・柑橘類・たばこ・ぶどう栽培を中心とする農業および畜産業、紅茶・ワインを 中心とする食品加工業など。旧ソ連解体後、一時経済は混乱したが、徐々に安定成長を遂げる。2006年3月に主要貿易国であるロシアがグルジアの主要輸出品であるミネラルウオーターやワインの禁輸措置を取ったとで、関連産業が深刻な打撃を受けたが、その後徐々に販路開拓に成功している。
2008年8月のロシアとの武力衝突およびその後の世界経済危機はグルジア経済に深刻な打撃を及ぼ したが、2010年には6.4%の成長率を達成するまで回復した。
  
・なお、ソ連の支配者スターリンと80年代の外相シュワルナゼ(後にグルジアに招かれ、国家評議会議長 を経て大統領に就任)はともにグルジア人であった。

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# by m-morio | 2012-08-15 12:14 | 市民カレッジ | Comments(0)
今年度の2回目の読書会は、先生が海外へ旅をしたことでお休みとなっていたので6月に開かれた。
久しぶりに一同に会した席では、先生の旅行談に花が咲き、読書のほうは流れた形になった。
アゼルバイジャン・アルメニア・グルジア、そして黒海を渡ってウクライナへ行き、トルコを経由して帰国するというおよそ1ヵ月の行程だったようだ。

3回目の席上でメンバーの中にイラン旅行から帰ってきた人がいた。
ご存知のとおり、イランはペルシャ人中心の国で、イスラム教信者が多く、政治も政教一致の国。

旅行してきたかたがたが口をそろえて言うには「(イランでは)お酒は飲めない」「そもそも売っていない」という。そこで、本題と少し離れるが、お酒の話を。
イランのお酒の話を聞きながら、うーん・・・。そうだったかなぁ・・と考え込んでしまう。
何かの本でパーティを開いている話を読んだ記憶がよみがえる。
しかし、その本を思い出さないので沈黙を守った。

帰宅後、見つけました。

春日孝之著 「イランはこれからどうなるのか」・・・イスラム大国の真実・・・。
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著者は、毎日新聞の編集委員で、テヘラン支局勤務のときに体験したことをもとにまとめられている。

本書の第1章は「現代イランの生活をのぞく」。

その中の一部を拾い読みします・・・・・・と。

まず、2005年10月、テヘランの特派員として赴任。
アフマディネジャド大統領の新政権が発足したばかりの時期だった。
着任早々、イラン人のジャーナリストに誘われてあるホームパーティに顔を出す。
広々としたリビングに、おしゃれした男女が十数人歓談していた。
室内には西洋音楽が流れ、モダンなリビングには”洋酒”を並べた飾り棚があり、ソファの側には、ビールやワイン、ウイスキーなどさまざまなアルコール類が用意されていた。
「飲み物は何にします?」と声を掛けられ、アルコールが飲めない著者はジュースを所望すると、 
「あら、日本人はアルコールがないと生きていけないじゃないの? イラン人もそうだとうもうけど」
と冗談を返された。

イランには、バーもなければ、ディスコもない。ロックなどの西洋音楽や飲酒は禁止されている。

しかし、週末になると多くの人たちが「当局の目」にふれない自宅でホームパーティに興じている。
夕食後、室内の照明が落とされ、リビングはディスコに様変わりした。         
ステレオのスピーカーから西洋やイランのポップスが大音響で響く。

著者によれば、アフマディネジャド政権誕生後、イスラム革命後「密かに」続いていたホームパーティは、もはや当局も黙認しているようだという。

そうはいっても、パーティはイランの「裏の顔」。
建前を使い分ける性向が、ますます増幅されると警鐘を鳴らす声もあるという。

いずれにせよ、アルコールに関しては、どこのホームパーティでも供されるわけではないにしろ、密輸モノがいろいろなルートを通じて、さほど高くない値段で、比較的簡単に手に入るらしい。
食料品店にはノン・アルコール・ビールが並んでいるという。

「イランではお酒は売っていない」というのは、ぽっと出かけた観光客の視線では当然のことだろう。

しかし、本書の記載を見る限り「裏の顔」があるのもまた事実のようだ。

著者が体験したことが、今でも続いているとしたら。。。。。ですが。
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# by m-morio | 2012-07-22 16:12 | 市民カレッジ | Comments(0)
夕張市でのフォトウオークの催しに参加しました。
桜咲く夕張を散策しながら、写真を撮ろうという企画です。
快晴、気温20度の中を、およそ4キロの距離を歩きました。
桜もほぼ満開、久しぶりに汗をかきました。

▼ご存知のように、国内で唯一財政破綻した市で有名になってしまいましたが、炭鉱で栄えたこの街の人口は今でこそ1万人を少し上回る程度まで減少していますが、往時は12万人に迫る人口を数え、夜の繁華街で一晩に働くホステスさんは400人を超えたこともあったのだとか。

その旧繁華街の今を訪ねてみました。
空家のオンパレードです。
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元料亭だったという木造3階建ての建物は、朽ちるに任せて放置されていました。
素人目には、次の冬を越すことができるのだろうかと訝るほどの荒れようです。

映画「幸せの黄色いハンカチ」の撮影の場所(主演の高倉健が人を殺めてしまうシーンだとか・・・)も立ち入るのにも危険を感じるほどでした。

こんな状態で放置しておいて、人が入り込んだり、火事の心配もあるだろうに・・・・との懸念を持ちます。

▼民間の有志によって「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」が毎年2月に開催されています。
今年は12千人が集まったといいますから、夕張の人口を大きく上回ったということになります。
キネマ街道と名づけられた通りがあります。
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私の年代の者にとっては大変懐かしい映画の看板が通りのあちこちに残っていました。
ただ、その看板も既に色あせています。
誰が管理しているのかは聞きそびれましたが、朽ちるまで遺して、塗りなおしなどの予定はないようです。

▼この写真は、たまたま遭遇した夏祭りの子ども神輿を眺めているお年寄りを撮りました。
にこやかに子どもたちをご覧になっていたのですが、写真を撮らせてくださいと声を掛け、カメラを向けたトタンにちょっと厳しい表情に変わってしまいました。
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緊張させてしまったようです。
お礼を言って辞すときには、またにこやかなお顔に戻りましたのでホットしました。
無断で、少しはなれたところから撮れば、そのにこやかな表情を画面に納められたのかもしれませんが、礼儀として声かけはすべきなのでしょうね。
それに、カメラにセットしていたレンズは20ミリでしたし。。

夕張市の高齢者は人口の44%だとか。 平均25%程度と比較すると極端に高いですね。
市の財政状況を反映し、企業誘致もままならず、若者の多くが市を後にしたのでしょう。

復興を期待して止みません。

なお、この老人の写真は、
6月12日~24日の間、市内の ホテルマウントレースイ で展示される予定です。
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# by m-morio | 2012-05-21 18:39 | 写真 | Comments(0)
今年はオリンピックの年である。
5月10日にはギリシャのオリンピア遺跡で聖火採火式が執り行なわれた。

そのギリシャが今ほど世界の話題の渦中に晒されたことは過去になかったのではなかろうか。

ギリシャは今、揺れに揺れていてその動向によっては世界中の経済に甚大な影響を及ぼしかねないところまで事態は深刻である。

ギリシャといえば、その歴史は古く・・・・・・と考えがちであるが、歴史は200年にも満たない。
ギリシャという国が成立したのは、19世紀の初め(1930年)になってから。f0020352_19275424.jpg

その前を遡っても「ギリシャ」と呼ばれる一定の国土をもつ政治的な単位が存在したことがない。
古代ギリシャは、ポリスと呼ばれる都市国家が並立する世界だった。
今日のギリシャにあたる地域はオスマン帝国の領土となり、この帝国から独立を果たすことで誕生した国家なのである。

1821年、オスマン帝国に対する反乱が企てられ、各地の都市で蜂起し、ギリシャ独立戦争へと発展するが、ここに英・仏・露が介入し、結果として独立を果たすことになる。
建国以来、ギリシャの政治はこれらヨーロッパの大国に翻弄されてきた。

第二次世界大戦後は、アメリカの強い影響下に置かれた。                
ギリシャが、東地中海という、大国の利害関係が衝突する、地政学的に重要な地域に位置したためである。
また、ギリシャの国家財政は、独立以来、外国からの借金に大きく依存し、経済の面でも、大国の出方に大きく左右された。
ギリシャは、独立国家でありながら、なかなか自立の道を歩むことができなかったのである。
今日のギリシャも、まさに同じような状況に置かれている。

EUとIMFが厳しい監視の目を光らせている。
もちろん、現在のギリシャが直面している経済的な苦境は、ギリシャ自身が招いたものである。
歴代の政府は、政治や経済、社会の近代化のための構造改革を、うまく進めることができなかった。
過去の政策に、民衆に迎合しようとする面があったことは、否定できない。 
そのために、借金を重ねた。
今日の経済危機をめぐっては、その場しのぎの政策を続けた政府だけでなく、そのような政府を選んできたギリシャ国民も、重い責任を負わなくてはならないのだろう。

2009年、ギリシャの財政赤字の規模が莫大で、しかも政府が数字を誤魔化していた疑惑が発覚、信用不安に火がついた。
EUの加盟国は、ユーロの信頼性を保つために財政赤字や国の借金を一定の規模に抑える義務がある。
ところがギリシャの2009年の財政赤字は、この基準の4倍以上である事が判明した。

本当に借金を返せるのか、ユーロは大丈夫なのか不安が広がったのである。
以後、足掛け3年にわたってEU、IMFによる救済策が検討され、その一部は実行に移された。

5月6日、財政危機が明るみに出て初めての選挙が、ギリシャで実施された。                    
この選挙では、財政緊縮策と構造改革プログラムの実行を、ギリシャ国民が支持するかどうかが問われた。
ギリシャ国民の大多数は、ギリシャがユーロ圏に留まることを望んでいた・・・
と伝えられていた。                          

暫定政府が国民に支持されたのか?
そうは簡単にはいかなかった。
暫定政府を構成していた二大政党は過半数を獲得できなかった。
その理由は、過去30年の政治こそが、今日の危機を招いたことが明らかだったからである。

長年、交代で政治を支配し続け、今回の危機を招いた2つの連立与党への強い不信感が影響している。
連立与党側は、緊縮策を緩和するEUとの再交渉カードをちらつかせて他の5つの政党に協力を要請するも受け入れた党はない。
他の党も与党の不人気で躍進しただけで、緊縮政反対という点以外有効な対案がある訳ではない。

大統領は、各政党へ組閣の調整に乗り出すも、ことごとく失敗に終わり、とうとう来月17日に再選挙を実施することになってしまった。

EUなどによる未実行の融資を実施するための条件を履行するには、既に時間的に不可能とも言われだした。

再選挙までに破綻するのではないかとさえ囁かれ、国内では銀行の取り付け(預金払い出し)が始まっているともいう。

フランスでは、オランド大統領が誕生した。
EUの緊縮策一辺倒の方針に変化が生じる可能性もある。
オランド大統領の最初の訪問国はドイツだった。
メルケル首相と“握手”はすれども具体策もなく、再燃した危機を封じ込めるための協議は先送りされた。

最新の情報では、
EUは、「ギリシャの財政再建策を見直すのは不可能だ」と、再選挙に向けて勢いづく緊縮反対派に警告を発したという。

また、同国がEUおよびユーロ圏に留まりたいなら、「自ら結果を出す必要がある」とも呼びかけている。
国民一人一人の判断がどのような結果をもたらすか、よく考えて投票するよう促したのである。

重ねて、「ギリシャは、ユーロ圏と約束した再建策を断行する以外に道はない」と強調している。
緊縮反対派が勝利すれば、ギリシャには、これまでよりも過酷な将来が待っていると警鐘を鳴らしている。

ギリシャに端を発したユーロ危機は、今後どのような展開をみせるか。
また、ギリシャ国民は自国の責任をどのようなかたちでとろうとするのか。。。。

ヨーロッパは 今 試練 に晒されている。
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# by m-morio | 2012-05-17 19:30 | 市民カレッジ | Comments(0)
時代小説を好んで読むようになったきっかけが何だったのかあまり記憶がありません。
すでに10年以上も前のことと思います。

この間、池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎、柴田錬三郎を手始めに、今売り出し中の山本一力、宇江佐真理、佐伯泰英、上田秀人、葉室燐へと手を広げ、最近では田牧大和、伊東潤、犬飼六岐にまでその対象を広げつつあります。
多くの作家がほぼ「時代小説」作家としてその地位を確立しているのですが、時には意外な人が現れます。(現れるといっても、時代小説など書かないだろうと一方的に思い込んでいたに過ぎないのですが・・・・)
森村誠一、幸田真音などがその代表格。

二冊の本を手に入れました。

「桜田門外の変」(新潮文庫 上・下)(吉村昭著)

「あきんど」(文春文庫 上・下 幸田真音著)f0020352_15491773.jpg
です。
前者は、ご存知の江戸城門外での大老井伊直弼暗殺事件です。
幕末のわが国に大きな転機をもたらしたといわれるあの事件を井伊直弼側からではなく、
襲撃した水戸藩の目を通してこの時代の推移をたどるというものらしい。(未だ、積読状態なので。。)

一方の幸田真音の作品は、初めて手にしました。
日曜日のニュース番組に出演しているので顔は承知していました。
しかし、名前を「コウダ マイン」と読むとは・・・。「マオン」とばかり!(^^)!

作者は、証券会社勤務の経験から、経済小説を得意としている作家との認識があり、あまり読む機会がありませんでした。
ところがこの「あきんど」は経済小説といえるのかもしれませんが、その時代は江戸末期を舞台にした時代小説でした。

呉服古着商 絹屋 の主人・絹屋半兵衛のサクセス物語となるのか・・・・。
まだ「上」を読み終わったばかりで、この先の展開が読めません。

粗筋はともかくとして、この本と前者の「桜田門外ノ変」とは意外な共通点がありました。

偶然です。

話の舞台は近江の国彦根。
あの井伊直弼の国元。
幼名鉄之介、長じて鉄三郎を名乗り、後に、藩主直亮(なおあき)の世子直元の死に伴い、
兄直亮の養子という形で彦根藩の後継に決定する。

直弼は、側室の子として生まれた経緯から、養子の口もなく17歳から32歳までの間、
3百表の捨扶持の部屋住みを過ごした。
この頃に半兵衛との知遇を得ることとなる。


・・・・・・

現代史の次の開講は7月です。読書会も5月はお休み。

ということで、しばらくは時代小説を楽しむつもりです。
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# by m-morio | 2012-05-11 15:52 | | Comments(0)
イスラームを学ぶに先立って、若干の基礎知識を。。。 

▼本書の「はじめに」
「濃紺の夜空に、金色の糸で、ぬいとったような新月が、その最初の光を、ひとすじ、ひそやかに放つ。
新しい月の到来。」
・・・・・なかなか詩的な表現で本書ははじまる。

はじめに・まえがき・序など、表現は異なっても、多くの書籍にこのような書き出しがあって、著者の意図や狙いなどがまとめられている。
だから、私も“はじめに”は必ず、しっかりと読むことにしている。

▼本書では、まず、日常生活と密接な関係を持つイスラーム暦について触れている。
イスラム暦は、太陰暦。太陰月を基に作った暦。
月が朔(さく・・新月)から次の朔に、または望(ぼう・・満月)から次の望に至るに要する時間(29日12時44分2秒8)を基に作られた暦だという。
1年は354日で、太陽暦より11日短い。さらに一日の始まりが日没からはじまり、月の始まりはきちんと新月がでるのを確認して始まる。

では、新月とはどんな状態なのか、誰が何処で確認するのか・・・・・との疑問がだされたのですが、
今ひとつ明快な結論に至りませんでした。

天文学などという代物にはとんと縁の無い私が、正正しくお伝えすることは難しいのですが、
書籍などによると・・・・・・・・・
新月というのは、形の上でいえば、月が姿を隠した状態から、かすかに月の輪郭がまた現れてくるのを観測するらしい。
天文学でいう新月の後の「初見の月」の意味だという。
もっと日本的に表現すると、大体「二日月」と呼ばれる頃の月と考えればよろしいようです。

「初見の月」はどこで、誰が観測するのか。
「どこで」・・・・・
結論からいうと、「それぞれの場所で行なう」ということらしい。
大体は国などの一つの行政区画ごとでまとめているようだ。
「誰が」・・・・・その地域を統括するイスラームの権威当局が任命した新月実視委員がおこなうようだ。
見えそうな場所に何人か派遣して月を探し、複数人が確認したときを「新月の初見」とするらしい。
ついでに、
「曇天の場合にはどうなる?」・・・・・
曇天で月が見えない場合でも条件は同じ。今日見えなければ明日ということになる。
ただ、いつまでも伸びるかというとそんなこともない。国中が曇りというようなことはそうそう起こらないのだ。
また、実際に見えなくとも計算された日から二日以上ずれる場合はその日から月が始まるなどの運用も行なわれているらしい。

物事をキチンと決めたがる日本人にはなかなかすっきりしない事の決め方なのですが、隅々まで突き詰める必要も無いように思います。

イスラム圏の国々でも、イスラム暦とは別の日常の暦を持つ国は多くあるようです。
ただし、ラマダーン(断食月)の始まりや終わりといった宗教的な意味を持つ日取りの決定には今も、「初見の月」という現実の観測が重視されているようです。

なお、新月を国旗に描いている国も少なくない。
パキスタン、リビア、アゼルバイジャン(下図の順序)など。
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▼ムスリム社会
著者は、イスラームを意識しながら生活している人たちの社会を「ムスリム社会」と定義している。
そして、現実としては、意図に反してなかなかイスラーム的生活ができない人々もいる。
また、西欧社会で教育を受けた人々もいる。
そのような人々も全て含めて考えていくという。
現実に生きている社会のなかに、イスラーム原理がどのように存在しているのか。
そのなかに生きている小さな個人個人の生き様を、明らかにしていくことが本書の目指すところだと記している。
▼世界の宗教人口
 最も多いのは、「キリスト教」22.8億人(33.0%)、次いで「イスラム教」15.5億人(22.5%)
となっている。(世界国勢図会2011年版より)
また、イスラームの分布状況の概要を把握するのに下図を参照。
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この地図は、イスラーム諸国会議機構加盟国を表したものです。
この機構は、イスラム世界の連帯強化と聖都であるエルサレムの奪回を目的に1971年に設立された組織で、イスラム諸国56カ国とパレスチナ開放機構(PLO)が加盟している。(「イスラームの世界地図」 21世紀研究会編 文春新書 より)

▼アラビア語
アラビア語は、ムスリムにとって、神の啓示がくだされた言葉として特別の価値を持っている。
よって、クルアーン(コーラン)の翻訳は禁止されている。
各国語に訳されているものは、すべて“解釈”ということになっているのだそうだ。

全世界のムスリムは
「アッサラーム・アライクム(あなたに平安を)」
とアラビア語であいさつを交わす。

これから、会でもこの言葉を唱和しましょうか・・・・という講師から冗談? が飛び出しました。

個人的には、ご勘弁を!! です。

もろもろの意味合いから。。。。。。
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# by m-morio | 2012-05-03 13:03 | 市民カレッジ | Comments(0)