受け売り現代史 タイ王国の現状
12月にタイ(タイ王国)が新聞紙上で話題になった。
「バンコクのドンムアン空港で(12月)11日、緊急着陸した貨物機から対空ミサイルなど北朝鮮製の兵器が大量に見つかり、タイ警察当局が押収した」
そして
この貨物機の最終目的地がイランの首都テヘランだったとの報道もある。
事実ならば、北朝鮮とイランを結ぶ「死の商人」の一端が解明される可能性があり、タイ当局の捜査が注目されている。
というのである。
今回、たまたま見つかったということは、既にその種の武器が周辺国にばら撒かれていた可能性もあるということであろう。
そんな話題が持ち上がったのを機会に「タイ」についてもう一度整理してみようと考えたのが12月下旬のこと。
資料探しをしているうちに、年賀状だ、年末の大掃除だ・・・・と追われて、とうとう年を越してしまいました。
遮二無二に区切りをつけました。
「タイ」に関しては、以前に このブログ で触れたことがある。
この国は、立憲君主制をとり、82歳のプミンポン国王は、在位63年と世界最長で、タイ国民に敬愛される存在である。
その国王の体調が優れない。タイ国民にとって気がかりなことである。
加えて、政情や経済が安定しない。
昨年10月半ばには国王の体調が悪化したらしいという風評が流れただけで、タイの株価や通貨バーツが急落する展開になるほどで、タイ情勢が安定するのかどうか、国際社会も注視していることがうかがえる。
現政府に対する不満も大きい。
国王の誕生日(12月5日)を前に一時的に大規模な抗議行動は自粛されても、タクシン元首相がタイ政局の事実上の主役として存在感をアピールし続け、それを支持する層がある限り、本質的に混乱を収拾する見通しは立たないのではないだろうか。
そこで、タイの現状を整理してみる。
昨年10月に、「東南アジア諸国連合(ASEAN)」を中心とした国々の首脳会議がタイで開かれた。
タイは「微笑みの国」と呼ばれてきた。しかし、政府と反政府勢力との対立が激しく「微笑み」とは程遠い混乱が続いている。
昨年4月には、ASEANの首脳会議が、急遽中止に追い込まれた。
そもそもこの会議は一昨年12月に開かれる予定であった。ところが反政府デモ隊によってバンコクの首相府や空港が占拠されるなど政治混乱が続き、延期に次ぐ延期となったあげく、昨年4月にバンコク近郊のパタヤで開催されることになったが、それも中止に追い込まれた。
この4月の会議の際は反政府デモ隊が首脳会議の会場に乱入。非常事態宣言が出され、各国首脳がヘリコプターで脱出するという前代未聞の事態となった。
翌日には、反政府デモがバンコクに広がり、道路を封鎖してバスを燃やすなど抵抗、軍とにらみ合い一触即発の事態となった。
◇反政府デモをしているのは・・・
一昨年、バンコクの空港を占拠した反政府グループは、タクシン元首相を嫌い、タクシン元首相を支持する政権の打倒を目指してデモを行った。
ところが、その政権が崩壊し、民主党を中心にタクシン元首相に反対する勢力が政権についたところ、今度はタクシン支持者たちが反政府デモを始めた。
攻守所を変えたかたちになった。
昨年4月の首脳会議を潰したのは「タクシン元首相を支持する勢力」であった。
◇タクシン元首相をめぐる対立
タクシン元首相は、警察出身で元実業家。莫大な財力をバックに2001年の総選挙で圧勝して政権につき、農村地帯の貧しい人々への優遇政策を行った。
医療政策や巨大プロジェクトを次々に立ち上げ、通貨危機に陥ったタイの経済を立て直した。
しかし、一方、都市部では強権政治と金権体質に対する批判が高まり、2006年9月の軍部によるクーデターで失脚し、国外追放となった。
それでも出身地の北部や東北部などの貧しい人々が多い地域ではタクシン支持が根強く、彼の復権を待ち望む人が多い。
◇アピシット政権に反対する理由
(タクシン元首相失脚後、サマック内閣・・2008年2月、ソムチャイ内閣・・2008年9月を経て、2008年12月に現政権のアピシット内閣が発足)
2007年12月の総選挙で、タクシン元首相を支持する「国民の力党」が第一党となり政権を獲得した。
ところが、与党が選挙違反で解散を命じられるという事態となった。(憲法裁判所は、「国民の力党」など与党3党に解散命令)
政権は崩壊し、他の小政党が民主党と連立を組んでアピシット政権が誕生した。選挙で選ばれたのではないから正当性がないとして退陣を求められている。
◇タイにおける対立の構造
反政府デモに見られるように、タイの混乱は「タクシン元首相の支持派」と「反対派」とで国を二分している。
これは、タイの近代化と経済成長、そしてグローバル化によって社会が大きく変わったことが背景にある。
タクシン元首相の支持基盤は、農村部の低所得者層である。一方、反対派は都市部の知識人をはじめとする中産階級。
そしてタクシン元首相に代表される新興勢力と、これまでタイを支配してきた伝統的なエリート層の対立という構造も背景にある。
タクシン元首相は、タイ愛国党を率いて2001年に選挙で圧勝、タイで初めて単独政党が政権を握り、政治の安定をもたらした。
しかし、実業家として一代で巨万の富を築き、財力をバックに政権のトップに上り詰めたのは前例の無いことだった。
従来とはまつたく違った政治スタイルが保守層の反発を招いた。特権階級として恵まれた環境にあった人々にとって権益を失うことになるからである。
また、タクシン元首相は地方の低所得者層を支援したが、これは本来王室のやるべき仕事で、国王に正面から挑戦するようなものであるとさえ言われた。
このように、タクシン派と反対派の対立は、タイの社会構造に起因しているため、簡単には混乱は収まりそうも無いのである。
◇軍との関係
現憲法(1997年にできた)では軍部が政治に介入できないことになっていて、タイ史上最も民主的な憲法と評価されていた。
しかし、タクシン時代に首相の権限が強くなりすぎて、国王を軽視するかのような発言もあったことから、国王側近の保守層が反発。
国王に絶対的な忠誠を誓う軍部は、タクシン元首相が国王に忠誠でないとしてクーデターでタクシン元首相を追い落とし、クーデター後、軍部主導で民主党を中心とした連立政権を樹立した(2006年10月)。
◇国王の影響力は低下したか
これまではタイでは混乱が起きても、国王がまとめてきた。国民の敬愛する国王の言うことには従ってきた。
だから、混乱も最後は国王がまとめてくれるだろうと今も期待する人は多い。
しかし、国王はタクシン派と反対派の対立には殆ど口を挟まず、政治に介入しない姿勢をとり続けている。
国王は83歳で、健康状態が気遣われていて、発言の機会はめっきりと減っている。
◇タクシン元首相の動向
タクシン元首相は、中東のドバイから東欧やアフリカを転々としながら、支持者にメッセージを送り続けその影響力を維持している。
支持者は、実刑判決を受けている(最高裁は、2008年に本人不在のまま汚職防止法違反で有罪判決を言い渡した田)タクシン元首相の恩赦を求める署名活動を行っているが、判決前に国外に逃亡しているため、恩赦が認められる可能性は低い。
そうしたなかで、隣国カンボジア政府は、タクシン元首相を「経済顧問」に重用した。
カンボジアのフン・セン首相との長年の親交を理由にしているが、両国は、国境付近に位置するヒンズー教寺院跡周辺の領有権を巡っても対立している。それぞれの思惑が絡んでいるようである。
海外を点々とする生活は3年に及ぶ。数千億円にのぼる資産が最高裁の判決で没収される可能性もあるという。
政治生命を永らえようとするタクシン元首相にとって正念場ともいえるのかもしれない。
◇混乱の影響
政治不安・世界的な景気の後退・新型インフルエンザの流行によって観光業界は大きな打撃を受けている。
前記のように、一昨年8月、反タクシン元首相派によるデモが活発化し、首相府が占拠された。
建て直しを図った矢先の昨年4月には、首脳会議にデモ隊が乱入。
これでは観光客が遠のくのは当然である。
◇日本との関係
日本にとっても影響は少なくない。
2007年タイ修好120年を迎えた。皇室とタイの王室は関係も深く、日本にとってタイは経済的にも重要な国である。
ASEANは中国、アメリカに次ぐ貿易パートナーである。バンコクの日本人商工会議所に登録している企業は1300社を超え、それ以外の中小の企業を含めるとタイに進出している日系企業は7000社を超えるといわれている。
しかし、景気の悪化の影響が駐在員の減少という事態になっていて、日本人学校への入校者が減少しているという。
◇最後に
タイではクーデターや政変が起きても市民の暮らしには大きな影響はみられないのだという。
多くの市民が慣れっこになっている。
デモや衝突の場所も限られているためタイの市民や日本人にはあまり動揺はみられないようである。
ただ、タイの政治混乱の背景がこれまでとは異なり、さらなる激震が待ち構えていると、人々は将来への不安を強めている。
タイは大きな転換期に差し掛かっている。
「バンコクのドンムアン空港で(12月)11日、緊急着陸した貨物機から対空ミサイルなど北朝鮮製の兵器が大量に見つかり、タイ警察当局が押収した」
そして
この貨物機の最終目的地がイランの首都テヘランだったとの報道もある。
事実ならば、北朝鮮とイランを結ぶ「死の商人」の一端が解明される可能性があり、タイ当局の捜査が注目されている。
というのである。
今回、たまたま見つかったということは、既にその種の武器が周辺国にばら撒かれていた可能性もあるということであろう。
そんな話題が持ち上がったのを機会に「タイ」についてもう一度整理してみようと考えたのが12月下旬のこと。
資料探しをしているうちに、年賀状だ、年末の大掃除だ・・・・と追われて、とうとう年を越してしまいました。
遮二無二に区切りをつけました。
「タイ」に関しては、以前に このブログ で触れたことがある。
この国は、立憲君主制をとり、82歳のプミンポン国王は、在位63年と世界最長で、タイ国民に敬愛される存在である。
その国王の体調が優れない。タイ国民にとって気がかりなことである。
加えて、政情や経済が安定しない。
昨年10月半ばには国王の体調が悪化したらしいという風評が流れただけで、タイの株価や通貨バーツが急落する展開になるほどで、タイ情勢が安定するのかどうか、国際社会も注視していることがうかがえる。
現政府に対する不満も大きい。
国王の誕生日(12月5日)を前に一時的に大規模な抗議行動は自粛されても、タクシン元首相がタイ政局の事実上の主役として存在感をアピールし続け、それを支持する層がある限り、本質的に混乱を収拾する見通しは立たないのではないだろうか。
そこで、タイの現状を整理してみる。
昨年10月に、「東南アジア諸国連合(ASEAN)」を中心とした国々の首脳会議がタイで開かれた。
タイは「微笑みの国」と呼ばれてきた。しかし、政府と反政府勢力との対立が激しく「微笑み」とは程遠い混乱が続いている。
昨年4月には、ASEANの首脳会議が、急遽中止に追い込まれた。
そもそもこの会議は一昨年12月に開かれる予定であった。ところが反政府デモ隊によってバンコクの首相府や空港が占拠されるなど政治混乱が続き、延期に次ぐ延期となったあげく、昨年4月にバンコク近郊のパタヤで開催されることになったが、それも中止に追い込まれた。
この4月の会議の際は反政府デモ隊が首脳会議の会場に乱入。非常事態宣言が出され、各国首脳がヘリコプターで脱出するという前代未聞の事態となった。
翌日には、反政府デモがバンコクに広がり、道路を封鎖してバスを燃やすなど抵抗、軍とにらみ合い一触即発の事態となった。
◇反政府デモをしているのは・・・
一昨年、バンコクの空港を占拠した反政府グループは、タクシン元首相を嫌い、タクシン元首相を支持する政権の打倒を目指してデモを行った。
ところが、その政権が崩壊し、民主党を中心にタクシン元首相に反対する勢力が政権についたところ、今度はタクシン支持者たちが反政府デモを始めた。
攻守所を変えたかたちになった。
昨年4月の首脳会議を潰したのは「タクシン元首相を支持する勢力」であった。
◇タクシン元首相をめぐる対立
タクシン元首相は、警察出身で元実業家。莫大な財力をバックに2001年の総選挙で圧勝して政権につき、農村地帯の貧しい人々への優遇政策を行った。
医療政策や巨大プロジェクトを次々に立ち上げ、通貨危機に陥ったタイの経済を立て直した。
しかし、一方、都市部では強権政治と金権体質に対する批判が高まり、2006年9月の軍部によるクーデターで失脚し、国外追放となった。
それでも出身地の北部や東北部などの貧しい人々が多い地域ではタクシン支持が根強く、彼の復権を待ち望む人が多い。
◇アピシット政権に反対する理由
(タクシン元首相失脚後、サマック内閣・・2008年2月、ソムチャイ内閣・・2008年9月を経て、2008年12月に現政権のアピシット内閣が発足)
2007年12月の総選挙で、タクシン元首相を支持する「国民の力党」が第一党となり政権を獲得した。
ところが、与党が選挙違反で解散を命じられるという事態となった。(憲法裁判所は、「国民の力党」など与党3党に解散命令)
政権は崩壊し、他の小政党が民主党と連立を組んでアピシット政権が誕生した。選挙で選ばれたのではないから正当性がないとして退陣を求められている。
◇タイにおける対立の構造
反政府デモに見られるように、タイの混乱は「タクシン元首相の支持派」と「反対派」とで国を二分している。
これは、タイの近代化と経済成長、そしてグローバル化によって社会が大きく変わったことが背景にある。
タクシン元首相の支持基盤は、農村部の低所得者層である。一方、反対派は都市部の知識人をはじめとする中産階級。
そしてタクシン元首相に代表される新興勢力と、これまでタイを支配してきた伝統的なエリート層の対立という構造も背景にある。
タクシン元首相は、タイ愛国党を率いて2001年に選挙で圧勝、タイで初めて単独政党が政権を握り、政治の安定をもたらした。
しかし、実業家として一代で巨万の富を築き、財力をバックに政権のトップに上り詰めたのは前例の無いことだった。
従来とはまつたく違った政治スタイルが保守層の反発を招いた。特権階級として恵まれた環境にあった人々にとって権益を失うことになるからである。
また、タクシン元首相は地方の低所得者層を支援したが、これは本来王室のやるべき仕事で、国王に正面から挑戦するようなものであるとさえ言われた。
このように、タクシン派と反対派の対立は、タイの社会構造に起因しているため、簡単には混乱は収まりそうも無いのである。
◇軍との関係
現憲法(1997年にできた)では軍部が政治に介入できないことになっていて、タイ史上最も民主的な憲法と評価されていた。
しかし、タクシン時代に首相の権限が強くなりすぎて、国王を軽視するかのような発言もあったことから、国王側近の保守層が反発。
国王に絶対的な忠誠を誓う軍部は、タクシン元首相が国王に忠誠でないとしてクーデターでタクシン元首相を追い落とし、クーデター後、軍部主導で民主党を中心とした連立政権を樹立した(2006年10月)。
◇国王の影響力は低下したか
これまではタイでは混乱が起きても、国王がまとめてきた。国民の敬愛する国王の言うことには従ってきた。
だから、混乱も最後は国王がまとめてくれるだろうと今も期待する人は多い。
しかし、国王はタクシン派と反対派の対立には殆ど口を挟まず、政治に介入しない姿勢をとり続けている。
国王は83歳で、健康状態が気遣われていて、発言の機会はめっきりと減っている。
◇タクシン元首相の動向
タクシン元首相は、中東のドバイから東欧やアフリカを転々としながら、支持者にメッセージを送り続けその影響力を維持している。
支持者は、実刑判決を受けている(最高裁は、2008年に本人不在のまま汚職防止法違反で有罪判決を言い渡した田)タクシン元首相の恩赦を求める署名活動を行っているが、判決前に国外に逃亡しているため、恩赦が認められる可能性は低い。
そうしたなかで、隣国カンボジア政府は、タクシン元首相を「経済顧問」に重用した。
カンボジアのフン・セン首相との長年の親交を理由にしているが、両国は、国境付近に位置するヒンズー教寺院跡周辺の領有権を巡っても対立している。それぞれの思惑が絡んでいるようである。
海外を点々とする生活は3年に及ぶ。数千億円にのぼる資産が最高裁の判決で没収される可能性もあるという。
政治生命を永らえようとするタクシン元首相にとって正念場ともいえるのかもしれない。
◇混乱の影響
政治不安・世界的な景気の後退・新型インフルエンザの流行によって観光業界は大きな打撃を受けている。
前記のように、一昨年8月、反タクシン元首相派によるデモが活発化し、首相府が占拠された。
建て直しを図った矢先の昨年4月には、首脳会議にデモ隊が乱入。
これでは観光客が遠のくのは当然である。
◇日本との関係
日本にとっても影響は少なくない。
2007年タイ修好120年を迎えた。皇室とタイの王室は関係も深く、日本にとってタイは経済的にも重要な国である。
ASEANは中国、アメリカに次ぐ貿易パートナーである。バンコクの日本人商工会議所に登録している企業は1300社を超え、それ以外の中小の企業を含めるとタイに進出している日系企業は7000社を超えるといわれている。
しかし、景気の悪化の影響が駐在員の減少という事態になっていて、日本人学校への入校者が減少しているという。
◇最後に
タイではクーデターや政変が起きても市民の暮らしには大きな影響はみられないのだという。
多くの市民が慣れっこになっている。
デモや衝突の場所も限られているためタイの市民や日本人にはあまり動揺はみられないようである。
ただ、タイの政治混乱の背景がこれまでとは異なり、さらなる激震が待ち構えていると、人々は将来への不安を強めている。
タイは大きな転換期に差し掛かっている。
by m-morio
| 2010-01-03 19:03
| 市民カレッジ