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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 原子力発電・・・その10

ここ2ヶ月ほど、「原発」を取り上げている。

身内からは、“なんだか七面倒臭いことを書いているなぁ”・・と呆れられている。

そろそろ打ち止めにしようかとも思うのだが、問題が“現在進行形”なので、そのきっかけをつかめない。

更に、この原発問題を「受け売り 現代史」の括りに入れておいていいのかなぁという悩み。 

これも、そもそもは現代史の講座で「核の諸問題」を勉強した流れに乗っているため、現状維持とせざるをえない。

よって、今日も原発のことを・・・・。

「原発」に関するupは、すべてがいろいろな報道を読み・聞きかじったことを事実に沿って書いているに過ぎない。
私個人の「意見」や「考え」は極力抑えているつもりである。
本稿のもともとの目的が「後で振り返る時のためのメモ代わり」の場所という位置づけだから。。。(とても、記憶に留めておくことは不可能だから)

でも、言葉の端には少しずつ私の思いもにじみ出てきているようだ。

原発問題で気がかりなことを、もう一度挙げておく。

▽「原子力発電所」というものは、世界中の英知を集めても制御不能な“代物”を内包しているということ。
その“代物”が、54基(この他に、閉鎖中のもの4基、建設中のもの3基、停止中のもの1基がある)狭い日本の国土に点在しているのである。

これらの「原発」に、何時、どんな事故(地震であれ、津波であれ、人災であれ)が起こるか予測は不能である。
しかし、一旦事故が起こるとどんなことになるのか。

今、その一つの例ともいえるのが「福島第1原発」である。

事故発生以来半年が経過したにもかかわらず、依然収束の見通しは立っていない。
 
原子炉への注水は続くも、温度がなかなか下がらない。
最近になって、1号機では溶けた燃料の大半が格納容器にまで落ちている可能性があるという。
問題なのは、その溶けた燃料が炉内のどこにあるのか特定ができておらず、手探り状態で注水を行なっているのだという。
しかも、この注水にしても、日仏米などの技術の寄せ集めであるがためになかなかスムーズに稼動しないのだとも報道された。

半年が経ってやっと原子炉の詳しい状況が分かりつつある。

一方では、未だに「放射性物質」が排出され続けているという現実がある。

 東電によると放射性物質の放出は8月の段階で最大で1時間当たり2億㏃、事故直後の1000万分の1にまで減ったとはしているが、まだこのレベルなのだ。

原子炉内の核燃料は人間をあざ笑うかのように勝手気ままに暴れている。

“制御”できない「代物」なのである。

▽もう一つは・・・・
放射性廃棄物の処理問題である。
いつもおかしな話だと思っているのだが、核燃料は、これ以上利用できないという最終廃棄物が必ず残る。
「核のごみ」である。

当然、その放射能を含んだ廃棄物の処分方法・場所も準備しておいて当然なのだが、これができていない。
どうやら、原子力による発電の研究が始まった頃から、放射性廃棄物がこれほど深刻なものになろうとは考えてもいなかった気配がある。
「何とかなるだろう」と見切り発車したのである。

核燃料を有効に使おうと、再処理工場を作ります、プルサーマル計画を推進します、というが、いずれも中途半端。
我々が毎日利用している電気を送り続けるということは、毎日毎日「核のごみ」の予備軍が排出されているのだ。

そもそも再処理された燃料を使おうとして計画された、あの高速増殖炉“もんじゅ”が頓挫していて、その行末は全く見通せない現状なのだ。

全国で54基の原発のうち、動いているのは11基だ。
再稼働できないと運転中の原発は年末には6基に減り、来春にはゼロになる可能性はゼロではない。

例えば、それが現実となり“脱原発”が推し進められたとしても、放射能で汚染された原子炉建屋などや核燃料の後始末はどうなるのだろうか。
莫大な費用と時間をかけ、その残骸は何処に、どのようにして保管管理されるのだろうか。

▽野田政権は、今すぐ“脱原発”に踏み切るのではなく、
電力を「経済の血液」と位置づけ、安全が確認された原発を再稼働する方針を示している。 

その場合でも、再稼働の条件に導入したストレステスト(耐性検査)を着実に実施し、原発の運転再開を実現することが欠かせない。
運転再開への最大の難関は、地元自治体の理解を得ることだろう。 
                                                        
 「原発の安全について国が責任を持ち・・・・」との意見も眼にする。
しかし、この“安全”が曲者。
本当に“安全”なのか? 真の“安全”なんてあるのか?

“国が責任を”というが、どんな責任の取り方があるのか?
人命を失ってからでは、何の“責任”か と・・・

まさに「責任」を問われることにもならないのか。

政治家のお粗末な言動は目を覆うばかりだ。鉢呂さん、たった9日目で辞任するという体たらく。
後任は枝野さんらしい。「原発」について、どんな考えを示すのだろうか。

軽はずみな言葉はいらない。

今、私の頭は混乱するばかりだ。
by m-morio | 2011-09-12 14:16 | 市民カレッジ

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