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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 「アフリカ大陸」 Ⅲ

Ⅱ アフリカの現状

1 全世界の約5分の1、日本の約80倍という広大な面積を有するアフリカ大陸。
広大な土地に54か国がひしめく状況が、企業のアフリカ進出を難しくしている一因といわれる。
最近のアフリカ大陸内部の動向を眺めてみよう。

 従来のアフリカへの投資は、旧宗主国の英、仏、ポルトガル、ベルギーなどが中心だった。
しかし、近年はBRICSなど新興国が主役の座を占めつつある。
その中でも、特に中国企業の進出が目覚ましい。
54か国のうち英語を公用語とする国が22か国、フランス語も21か国(重複を含む)。
欧州各国による植民地政策華やかなりし頃、海軍が強かった英国が海沿いを抑え、陸軍の強い仏国が陸続きに支配圏を広げた。
かくして、米英の投資は英語圏に、仏国の投資は仏語圏へと向かった。こうした動向は、大陸における隣国同士であっても貿易や交流が途絶し、アフリカ全域の発展を阻む一因となったとされる。
このような過去の経験からすると、現在の言語圏と関係ない中国の投資は国境を越えたアフリカの融合を促す可能性があるといえるのだろう。ブラジルやインドも競り合う。
ただ、これらの新興国は、旧宗主国のように文化、教育を通じた深いつながりがないのが弱点ともいわれる。





 2 アフリカでもっとも身近な産業は農業だ。
その発展度合いは国の経済成長を大きく左右する。かねて旧宗主国の資本力を借りてきたが、最近は幅広い外資を呼び込んで生産性や付加価値を高めようとする動きが活発になっている。
豊富な土地と安い人件費を狙い、中国や中東諸国などの対アフリカ農業投資も熱を帯びている。
一方、アフリカ諸国の主要都市では、新しいビルや道路の建設現場が目につくというが、そこだけ見ればインフラ整備が進んでいるかのように見える。しかし、郊外や農村に行くと基本的なインフラさえ整っていないところが多い。企業の投資や経済成長の大きな疎外要因になっている。
また、成長の可能性に満ちたアフリカは、汚職・腐敗といった根深い問題も抱える。
ある機関による調査によると、汚職の深刻度のワースト30か国・地域のうち、アフリカは約半数を占めている。最悪は北朝鮮と並んでソマリア。スーダン、南スーダンと続く。
日本企業の進出を妨げるのは、「汚職・贈賄」だという。汚職などは、たとえ現地の相方の行為であっても自社の企業価値を傷つけかねないとの危機感があるのだ。

3 資源は豊富だ。近年、西アフリカ地域における油田開発ラッシュは凄まじい。
仏・英・米をはじめ中国、タイ、インドも参入に動いている。
ただ、ご多分に漏れず、テロや強盗などのリスクも大きいらしい。中にはパイプラインから石油を抜き取る窃盗が横行し莫大な損失が報告されているようだ。

4 資源は石油ばかりではない。
 昨年、南アフリカで開催された「世界経済フォーラム アフリカ会議」において、「アフリカが持つ最大の資産は地下に眠る天然資源でなく、地上の人材だ」との共通認識で結ばれたと報じられた。
そして、巨大な人口の潜在力を引き出すカギは「教育」にあるとの認識だ。
アジアなどに比べて識字率が著しく劣る。日本、米国、中国、インドなど各国は、こうした現状を変えようとアフリカの高等教育機関の整備へ投資を増やしている。

5 単一市場へ統合機運
企業のアフリカ進出を難しくしている一因が、広大な土地に50数か国がひしめく状況だとされる。
そんな大陸の各地で、隣国同が結束し経済圏をつくる機運が高まっている。
ケニアなどの「東アフリカ共同体」、ナイジェリアなど西アフリカ諸国経済共同体」、南アフリカ共和国が軸の「南部アフリカ開発共同体」などである。
中でも、先頭を走るのが「東アフリカ共同体」だ。
10年以内に共通通貨を導入することで合意するなど着々とその準備が進んでいる。
もっとも、先例の欧州連合(EU)は近年、ユーロ圏の債務問題に苦しみ、経済統合の難しさを露呈した。
アフリカの経済連携も前進と後退を繰り返している。今後どうなるのか注目される。
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6 テロの脅威
経済成長に世界の目が集まる中で、アフリカの治安が国際社会の注目を集める。
最近では、マリ、中央アフリカ、ケニア、ソマリアの名が挙がる。
国際テロ組織は常に拠点を移動しており、アフリカが再び巣窟になりつつある・・との報道もある。
これは独裁政権を倒した「アラブの春」の影響もあるという。
リビアは統治が機能せず、内線時の武器や過激派が周辺に流出した。リビアやエジプトには中東の武装勢力も入り込み、大陸内外のテロ組織が連携する懸念がある。
根っこには政治腐敗と貧富の格差、失業の問題がある。
武装勢力は麻薬取引で資金を調達し、政府に不満を持つ若者を引きこんでいる。
日本人が犠牲になった13年のアルジェリア人質事件は未だ記憶に新しい。
当時、日本政府は情報の取集もままならなかった。情報収集の仕組みを作り、進出企業の安全を確保しなければアフリカの発展に力を尽くすことはできない。
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まとめ

「アフリカの年」と呼ばれた1960年以降、各国間が独立を目指すとともに、「アフリカの一体性」を前提として1963年に「アフリカ統一機構」(OAU)が設立された。
機構は、加盟国間の紛争の解決、白人支配地域の解放などに貢献した。
しかし、一方、加盟国の増加とともに「アフリカの一体性」意識は希薄になり、OAU内部の歩調の乱れが目立ち始めた。
その後「アフリカの時代」への希望に向けて設立されたOAUも発展的解消を経て「アフリカ連合」(AU)にそのバトンを渡した。(AUは、準備期間を経て2002年に発足)

 AUの重要課題は絶え間ない紛争の解決であり、アフリカの問題はアフリカ人の手で解決しようという共通意識の育成も大きなテーマであった。
50数か国がひしめく大陸においては、紛争・和解・共生が繰り返し問題化する。
1960年代から始まったアフリカ独立の過程で、ほとんどの国が黒人単独支配の体制を敷き、白人を放逐した。その結果、白人が持っていた国家運営の技術は継承されず、黒人支配層による独裁に落ち込んでいった。
指導者の多くは、権力を握るや腐敗した。
権力の維持が政治の最大の目標となる中で、国造りの理想は消滅していく。
利権と腐敗がはびこり、貧しい大衆の生活は放置された。
経済は崩壊し、多くの国の経営が破たんした。これがアフリカ人による支配=独裁政治だった。

他方、27年余の収監を経験し釈放されたネルソン・マンデラの場合、国づくりには健全な経済の確立が不可欠であると考えた。
働けば食べられる経済、努力すれば報われる社会を実現しなければならない。
独裁はその最大の敵であり、民主主義こそが必要だ。そういう経済を建設するためには、白人の技術や経験による協力は欠かせない------。

それが「人種融和の国造り」の基準となった。

共存の模索である。

アフリカは「復讐」・「報復」を乗り越え、部族間闘争の「永遠の連鎖」を断ち切ることができるのか。

国家全体の目指す方向性を示し、かつ実行する「政治的指導者」の重要性が問われる。

あのルワンダの悲劇から20年後、経済の発展と治安の回復を確保し「奇跡の復興」といわれている事例があれば、他方、南スーダンや中央アフリカなどでは未だに紛争が続く。
幾多の変遷を経て、いろいろな問題を抱えながらも、将来、必ずや「アフリカの時代」が来るのだと信じたい。

(つづく)
by m-morio | 2014-03-09 13:55 | 市民カレッジ

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