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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

チェチェン

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チベットに続き チェチェン を・・・

まえがき:
1 「チェチェン」はロシア連邦内の共和国で、ロシア語を訳すると「ロシア連邦チェチェン共和国」となるようですが、一般的には「チェチェン共和国」と呼称されています。本稿では略して「チェチェン」に統一します。 
2 チェチェンはロシアの憲法上は連邦構成主体の一つにすぎません。しかし、ソ連邦崩壊後「チェチェンの独立を求める武装勢力」と「ロシア政府およびロシアへの残留を主張するチェチェン人勢力」との間で抗争が続いています。
ここでは前者を「(独立派)武装勢力」、後者を「親ロシア政権」と書きます。

地理的には
「カフカス山脈」("カフカス"は、"コーカサス"とも表記されます)が、カスピ海と黒海とに挟まれた位置にあり、この山脈の北側=北カフカスにはロシア連邦に属する諸共和国があり、南カフカスは旧ソ連から独立した3共和国(アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア)からなっています。
チェチェンはそのカフカス山脈の北の麓の斜面と平野に広がっています。100万人程度の人口の9割をチェチェン人が占め大半がイスラム教徒です。
この小さな共和国が過去数百年にわたって超大国ロシアに侵攻され、抵抗を続けているのは何故なのでしょうか。このことを理解するには、彼らの苦難の歴史、立地環境、そして自由を勝ち取るために戦っている彼らの主張を理解する必要があるようです。
Blogという日記の中でこれら全てについて詳細に語るのは至難の技です・・・少々言い訳がましいですが・・。自分なりに整理してみます。 

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ここに新聞記事があります。
06.06.18付北海道新聞です。
7月にロシアで予定されている主要国首脳会議(サンクトペテルブルグ・サミット)開催時に、チェチェン共和国内で武装勢力による大規模なテロの実行計画があったが、親ロシア政権は特殊部隊を使って武装勢力指導者サドゥエフを殺害した。武装勢力にとって指導者の殺害は打撃だが、最強硬派のバサエフ司令官の行方をつかめていないためサミット前に武装勢力の報復も懸念される。
・・・という内容です。
このように今現在も共和国内の情勢は混沌としています。

まず、歴史を振り返ってみます。
チェチェンを含む北カフカス地方は、実に400年にわたってロシアの侵略と支配を受け続けてきました。
それに対して帝政ロシア、ソビエト時代を通じて、北カフカスの諸民族の中で植民地化にもっとも強力に抵抗したのがチェチェンです。 
18世紀に、ロシア帝国がカフカスへの南下に対してチェチェン人は激しく抵抗しますが、1859年にロシア帝国に併合されました。 
1922年ソビエト連邦の成立後チェチェンと隣接するイングーシとを併合してチェチェン・イングーシ自治共和国となりました。
第二次世界大戦中の1944年にはチェチェン人とイングーシ人がドイツに組したとの理由から民族全体がカザフスタンやシベリアへ強制的に移住させられ、数十万人が命を落としたといわれています。
1957年に母国への帰還を許され自治共和国が再建されるのですが、中央政府に対する不満は残り、ソ連邦が崩壊した19991年に、チェチェンはイングーシと分立すると同時にロシアからの独立を宣言しました。
一時期事実上の独立状態にありましたが、1994年再びロシアの軍事侵攻を受けています。
ロシアの言い分は”チェチェンの独立阻止””チェチェン共和国の秩序回復および非合法武装勢力の武装解除”でした。4万人の軍隊を派遣し、10万人の死者が出たといわれています。これが第一次チェチェン紛争です。
紛争は泥沼化しチェチェンの独立派武装勢力は強力に抵抗しました。しかし、翌年チェチェンの首都グロズヌイを制圧され、停戦の合意を経て1997年に5年間の停戦が調印され束の間の不安定な平和を共有します。
ところが、武装勢力は1999年に和平の協定を破り、ロシア支配から解放すると称して隣国のダゲスタン共和国へ侵攻します。
また、時を同じくしてモスクワでアパート爆破などの大規模なテロも発生しました。このためロシアはまたもやチェチェン侵攻を開始することになります。これが第二次チェチェン紛争です。
しかしながら、その後もチェチェンの独立運動は続きロシア軍との内戦状態は続いています。
ゲリラ化した独立派武装勢力はアルカイダ等国外のイスラム過激派勢力と結びついたとされ、爆弾事件、占拠事件などが頻発し紛争はさらに泥沼化しているのはご承知の通りです。
2001.9.11アメリカ同時多発テロ事件が発生し、ロシア連邦もアメリカの反テロ同盟に加入し、以降ロシア連邦のチェチェンに対する攻勢が一段と強まっています。
最近のテロ事件の一部を列挙してみますと・・・・・
2002年10月
「モスクワ劇場占拠事件」チェチェン武装勢力がモスクワの劇場を占拠。特殊部隊が突入して犯人一味を射殺、人質を解放。その際に使用された特殊ガスの影響により人質が130人死亡。
2003年7月
「モスクワ・コンサート会場自爆事件」16人死亡。50人以上負傷。
2004年2月
「モスクワ地下鉄爆破事件」240人以上死亡。
5月「チェチェン大統領爆殺事件」カディロフ大統領を含む40人以上が死亡。
8月「ロシア旅客機同時墜落事件」90人死亡。
9月「北オセチア、ベスラン学校人質事件」354人以上死亡。     
など枚挙に暇がありません。

いずれにしても長い年月の間、数え切れない人々が死に至らしめられたということを知らずにチェチェン紛争は語れないということであろうと思います。
プーチン政権もテロに手を焼きながらもチェチェン情勢の正常化に努力をしているのでしょうが、なかなか目に見えた効果は上がっていないというのが現状でしょう。

では、なぜこのような争いが続いているのでしょうか。
要因の一つは、
1991年のソ連邦崩壊によって南カフカスの三国(アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア)が独立したことによって、ロシアに残されたのは北カフカス地方だけで、万一この地方の共和国が独立した場合は西欧などの影響力が強まることにもなりかねないという懸念があることです。
現に、独立したグルジアには「対テロ作戦」を理由に米軍が駐留していると言いますし、アゼルバイジャンは軍を中心にトルコとの交流が進んでいるとのことです。
次に、天然資源の問題があります。
現在、ロシアの最も重要な外貨獲得源は、石油をはじめとする天然資源といわれています。チェチェンの首都グロズヌイはその石油採掘地であるからです。更に、パイプラインの問題もあります。北カフカスのパイプラインは、カスピ海沿岸バグーからダスタンを通りチェチェンの中心部を通過して黒海のノボロシスクに通じています。
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チェチェンはその中継点にあたり石油生産だけでなく精製の拠点でもあります。
度重なる争いでそれらの設備は相当のダメージを受けているようですが、地理的にもその重要性は理解できるところです。
このように資源面ではもとよりチェチェンは地理的にイランとトルコに近く、軍事上の要所といえます。
北カフカスにはチェチェンのほかにタゲスタン、イングーシ、北オセチアなどの共和国がひしめいています。チェチェンが独立をした場合、他の国々への影響は計り知れないものがあります。
等などの理由からロシアはこの少数民族との争いから手を引く意思がないのであろうと思われます。

大国はその意思に逆らう小国を力で簡単に押しつぶしてしまうことができると考える節があります。(ロシアだけではありません)
軍事力の行使を、外交手段の一環として考えているのでしょうか。
2度にわたるロシアとの紛争で、国土は荒廃しました。駐留ロシア軍の規律は乱れ、民間人への暴行・略奪は日常茶飯事となっているといいます。
住民はロシアへの憎しみを増幅させ、若者は教育も受けられず、将来への希望も断たれています。加えて、紛争の長期化が自暴自棄のテロへと走らせています。
記憶に新しい劇場占拠事件の50人の犯人は20代の若者が中心で、うち18人が女性でした。体に爆破装置を巻きつけ死を覚悟しての行動でした。
若者の気持ちを想像するに・・・・・「家や財産を破壊され、家族を失って何に希望を持てと言うのだろう」ということでしょうか。
本来チェチェン人の望みは、自主国家の建設であったにもかかわらず、彼らをテロへと向わせてしまったという点では、ロシアの「力の政策」は過ちだったのではなかろうか。
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by m-morio | 2006-07-01 10:15 | 市民カレッジ